6. 広瀬と舞鶴 180804

前回、舞鶴の港は引き揚げ船が着いた街と暗いイメージだけを書いたのだが、本当は反対にからりと明るいイメージを持っている。舞鶴の街は、駅から北に向かって広めの通りが並び、それは「三条通り」など条で呼ばれている。対して東西には日露戦争当時の連合艦隊司令東條平八郎にちなむ軍艦の名前が付く。駅に近い順で、三笠通り、初瀬通り、朝日通り、八島通りと続く。

「朝日通り」の前に立ち止まり一人の男を思う。大分県竹田市岡城の近くで生まれた海軍軍人広瀬武夫。彼こそ郷土の若人の憧れだった。軍人として、というよりも青年広瀬に憧れた。豪放磊落、且つ優しさに溢れていたという。将校時代、戦艦朝日の水雷長として舞鶴に寄っている。青年の頃、海軍大尉時代(もっとも彼の人生は青年37歳の若さで終わってしまうのだが)柔道に熱中したロシア駐在武官時代のエピソードはよく知られた話だ。現在、ロシアの人達の柔道好きは彼に依るところが大きく、九州の若人だけでなくロシアの人々からも愛されたと聞く。彼の死後、ロシア婦人アリアズナは愛する武夫を想い喪に服した。

戦艦朝日の名が付いた通りに立って広瀬武夫を思い出す。

“俺の顔は八角時計の様じゃ!”彼の豪快な声が聞こえた。

カラッとした夏の空の様。

Schooner Ami 船長 溜 光男
2018/08/04