15. Capitanの話 節分

15.節分 大多福豆を めしたまへ

堀川、今出川の交差点、西北にその菓子屋は在る。この季節の限定焼き菓子、お多福豆を模った「福ハ内」を初めて手に取った時、その可愛さとふくふくとした香りに幸せ感で一杯になった。当時22歳。私は吉川英治の「新平家物語」を夢中で読んでいて、重い単行本の平家第8巻を携えながら京都歩きの最中だった。

升の中にはお多福豆と呼ばれる焼き菓子が八っ並んでいる。その升の掛紙に、

このうまき 大多福豆を めしたまへ よはひをますは 受合申す

とある。文人画家・富岡鉄斎の書である。この掛紙が吉川英治の書と長いこと記憶違いをしていた。物事に被れ易い私は清盛の進歩的な考え方に憧憬し、吉川英治の文体が好きで特に「君よ今昔の感いかに」に魅了されていた。だから吉川英治に違いないと信じていた。

吉川英治が八百年経て、清盛に語りかけるこの句の文学碑がある。

「君よ今昔之感如何」

清盛よ貴方が考えた福原遷都、大和田の泊まりの築港、結局平家を滅ぼす事になってしまったけれど、見てご覧よ、其処は世界に名だたる神戸の港 君よ今昔の感いかに…

と、ここまできて此も勘違い。
この歌碑が神戸港を望む淡路島にあると信じていたが、そうではなくAmiでドキドキしながら何度も通過した音戸大橋を見下ろす高台にあり、大橋を渡った先の倉橋島の清盛塚に向いて立っていた。52年この文学碑を追い求め、22歳の青年は75歳になって居た。

冒頭の福ハ内も淡路島の句碑も当時吉川英治にかぶれて居た22歳の私のなんとも呆れた勘違いだった。しかし、この「お多福豆をめしたまえ」の文体に出逢わなければ、この歌碑の勘違いが無ければ、清盛に問いかける吉川英治の優しさに52年間も胸騒ぐことはなかっただろう。

ああ勘違い、されど勘違い。胸騒ぎよ再び。

2024/02/01